工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

木工屋のBlog運営とは

ところで今このBlogで連載しているサンディングの技法もそうなのだが、こうした木工技法に関わる領域の記述については、自重せねばいけないな、あるいは自省しなければいけないな、と思うことがある。
こんなに書き散らかしているくせに、ですがね。
ボクのBlogなど1,000ページビュー/日〜3,000ページビュー/日、ほどの読者が見に来ているに過ぎないが(この数値が多いのか、少ないのかは全く判然としない)、Blog上での記述は多少の影響力を持ってしまうことは、ネットにおける表現行為の功罪についての様々な議論からも推量できるところだし、自分でも多少の経験はしているので自覚的にやっているつもりだ。
当然にもネット上の木工の技法に関わる情報は様々なところから発信されていて、とても有益であることも多く喜ばしいところではあるのだが、一方で間違った情報、不十分な言及なども少なくなく、読者のリテラシーというものがとても重要であることにあらためて思い知らされることもある。
何もこれはネット上だけの特異な現象というよりも、日本の木工関連雑誌でさえ不適切な表現、間違った解釈に基づいた技法の紹介なども散見されるので、避けがたいものとも考えられるだろう。
でもやはりネットならではの敷居の低さから、いい加減な情報があふれかえってしまうということは指摘されても良いだろう。
刊行される雑誌には、ライターの記述に編集作業というものが介在するだろうし、有料での販売が前提ともなれば、あまり杜撰な記事では読者を獲得できないという自主規制が掛かる。
一方ネットにはそうした編集プロセスは皆無、ほとんど課金されることなく誰でも、どこからでもアクセスできるし発信できる。数年前から一気に普及したBlogというツールは発信者側のハードルをさらに低くしている。したがって何でもアリの世界だ。
そうした功罪半ばするネット上にあふれかえる情報からどのように良質な情報を見出すかは現代社会に生息する我々にとって無視することの出来ない重要な能力となってきている。
ここではそのための方法論を呈示するものではないが、せめて発信者として自身が書き散らしているこのBlogのエントリに関しては、できる限り情報を精査し、自身の経験と知力を動員させ、フィルタリングし、その上で有益なものとして寄与できるようなものを記述していきたいとあらためて思う。
またBlogという日記形式という性格も活かしながら、軽快に、スピ−ディーにエントリしていきたいとも思う。
そうした前提で、読者に願っておきたいことがある。
恐らくは上述したような配慮をもって記述したとしても、間違いも出てくるだろうと思う。
これは知見に問題がある、経験不足、咀嚼する能力に欠ける、洞察力に欠ける、記述の力に欠ける、文章力に欠ける、などと言った要因がそうした誤りをもたらしてしまうのだろうが、極力これらを克服しつつ、信頼に足る情報源でありたいと思う。
できれば誤りがあったり、さらに良い情報があるようであればご指摘いただくことで修正、訂正、補筆などの機会を与えてくれたらありがたい。
Blogにはコメントという有力な機能があるので、ぜひ活かしていただければ幸いだ。
日本人のコミュニケーションとしての特徴として、あまり相手の誤りを指摘しないことを尊ぶ、という土壌がある事は否めないが、ボクも耐性を身につけていかねばと考えたいので忌憚なくボチッしてもらいたい。
さて、ところでこのようなBlogでの情報を読者がどのように受け止めてくれているのかは知りたいところだが、これは決して多くはないものの寄せられる貴重なコメントによってある程度は推し量られる。
しかし恐らくはプロの木工家は斜に構え半眼でせせら笑いながら見てくれているだろうし、技法なども、ヘヘーッととばし読みしているのだろうと推測している。それで構わないだろう。彼らは自身に適切な方法でしっかり技法が備わっているからだ。何も申し上げることはない。
国内でインターネットが普及して10数年ほど経過するが、ボクの世代辺りから上の年齢ではアクセスする人は決して多くは無いのではないだろうか。
やはりインターネットアクセスは10代〜30代が中心になるだろうからね。
職人的練度を要求されるこの世界ではそうした味のある記事を提供してくれる人も少なければ、コメントを寄せてくれる人も多くはないのも無理はない。
問題は若いアマチュアの方々だね。
ぜひ批評的な視点から読んでいただきたい。真に受けるのではなく、気になった記事があったら、近くのプロの職人に尋ねてみる、自身で試してみる、書店で検索する、ネットで検索する、などいくつかの方法で検証すべきだろう。
技能というものは、事の性格上決して1つの手法が最善のものだというものではないだろう。
それを扱う人のレベルによって、あるいは作業環境によって最適な方法というものは多様だ。
やはり一定の時間を費やして、練度を高める中からしかその人にとっての熟練の技というものは生まれ出てこないというのが正しい考え方であろうと思う。
一方そうした本質的な考え方からしても、多様な手法を呈示して選択肢を与えていくというのは決して無為なことではないように思うので、能力を越えて出来るものでは無いが、可能な範囲で記述していこうと考えている。
でもね。
ある先輩がボクのBlog運営に鋭い警鐘を与えてくれたことがある。
くだらない情報が氾濫するネット上のゴミためにキミも参加するの?
そんなヒマがあったら作品造りに精進した方がよほど自分のためだよ、と。
これに対しては様々に反論はできただろうが、ただ受忍しただけだった。
自分もそう思うもの。困ったものだ。
今日は切らしていたお酒を新たに求め、チビチビ飲りながらのエントリ(すんません、週末ですのでお許しを)
過日紹介した「出羽桜」の別バージョン。「吟醸酒」桜花、という奴。美酒です。

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  •  杉山さんの「先輩」がどなたか存じ上げませんが「ネット上のゴミため」とはずいぶんな言い草ですね。 インターネットに限らず玉石混交・ピンキリなのはあらゆるメディアにいえることで、その中から自分に合った・いいと思うものを取捨選択すればいいだけのことです。頭からばかにしてかかったのでは何も得るものがありません。
     たしかになかなかコメントをいただけなくてがっかりすることはありますが、一般的にはきちんとしたコメント(文章)を書くということはかなり敷居が高いと感じられるのかもしれません。どだい書くことが好きで、また実際書けてしまう人には想像できないくらいの難行苦行かも。しかし直截的な応答ではなくとも、自分のほうが真摯に情報を発信していれば、きっと他の方もご自分のHPやブログなどで有益な情報を発してくれるだろうと思っています。実際私はずいぶん助かってます。

  • 大江さん ボクの足らずを埋めてなお余りあるコメント感謝します。
    このエントリはボクのBlog運営における自省をこめたものであることは述べたところですが、書ききれないほどにその意識は強いです。
    …、職能というものが大きな要素を占めてしまう木工にとって、職人自身がBlogという日記形式のスタイルで技法に関わる記述をするということの是非についてはいささかの戸惑いがあることは事実なのです。
    ボクのようにある程度の経験を経て備わったものを、(自身の責任においてという前提があったとしても)開陳することが果たして同業の方々にとって、あるいは木工家具製作を志向する若者にとって本当に有益なものになりうるのか、という問題設定を置くことはボクにとって無視できるものではないのですね。
    この欄では詳しく書き記せませんので、別途近日中にこのエントリの“続”として書いてみます。

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