工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

吟遊詩人・レナード・コーエンという難問(追悼にかえて)

2008 concert tourから

2008 concert tourから CC by Rama

あまりに突然の訃報・享年82

この11月7日、カナダ生まれ、LA在住の吟遊詩人・レナード・コーエンが亡くなった。

11日、Twitterで訃報を知った時の衝撃は強く、信じられず誤報だろうとさえ思った。

なぜなら、数年前には、欧州を中心に400個所でのライブコンサートを精力的に展開していたし、
斃れる10日ほど前にも、新譜(『You want it Darker』(最後段にクリップ))をリリースし、衰えぬ創作意欲を見せてくれていたし、またこの新譜リリースにあたってのインタビューではボブ・ディランのノーベル文学賞受賞への讃辞を語り、そこでは「死ぬ準備はできているが、ボクは永遠に生きるつもりだ」「120歳まで生きるよ(笑)」と、柔らかな笑みを浮かべ静かに語ってくれていたばかりだったからね(RO69the Guardian)。

「永遠に生きるつもり」とは根拠の無い生への意欲の表明でしかないとしても、「死ぬ準備はできている」( ‘I am ready to die’ I’m ready my Lord.)との前言を飜し、生きる意欲を掻き立てたのは彼が禅僧としての修行の日々を積んできたことにも、その抗いの背景を見つけることができるかもしれない。

彼が師事していた禅僧の老師(佐々木承周)は120まで生きるとされていた(実際は107歳で没している)。

死はいつも突然だ。

不死を誓ったレナード・コーエンもその例に漏れない。
死因は遺族からも後日明かされているが、自宅で転んだのがきっかけだったらしい。
高齢で杖を必要としていたからね。悔しいけれど、そんな小さな事で亡くなるだなんて信じたくないが、それが現実というものだ。

まぁ、しかし考えようによっては米大統領選開票結果を見ること無く黄泉の世界に旅だったことを思えば、突然ではあったものの彼にとり死期としては悪くなかったのかも知れないと思うことにしよう。

コーエンからノーベル文学賞受賞への賛辞を送られ、遺されたボブ・ディランだが、トランプ大統領の時代をどのように生きていくというのだろうか。

初期の名曲『時代は変わる』はまさに今、新たに逆ベクトルに書き換え、更新されねばならなくなってしまった。

パリ同時多発テロから1年。襲撃され90人が犠牲になったBataclan劇場で追悼コンサートを行ったスティングだが、帰国した後のアメリカでこの時代をどう生きていくのだろう。

フランス語で犠牲者を追悼するSting
コンサート全編はこちらから

思いは多岐に拡散していくばかりだが、ここではレナード・コーエンを私なりに追悼しなければいけない。

まず、彼の死去を伝える報道から。

報道からみるレナード・コーエン評価の彼我の差

朝日新聞では遺族から死去が伝えられた後、中1日おいて12日朝刊で第2社会面の最下段にベタ記事として報じていた。
その上隣には数倍の文字数でりりィーの死去が伝えられている。(記事はこちら

たぶんこの衡量に見られる扱われ方の差異が日本国内での標準的なものとみて良いだろう。

他方、インターネットで〈Leonard Cohen〉で検索を掛ければ、欧米大手メディアを中心に詳細で膨大な追悼記事が上げられていることに気づく。

YouTube〉ではどうだろう。
膨大なミュージッククリップが表れ、その多くが数百万から一千万を越えるまでのアクセスをカウントしていて驚かされる。
死去した後に投稿されたものに限ってみても、既に数百万をカウントしている。

これほどまでに国内外の評価が画然と分かれるミュージシャンも多くはない。

それにしても日本国内での評価の余りの不当さには戸惑うばかり。

音楽を愛する私の周囲にコーエンのアルバムをコピーして提供することもあるけど、彼らにとっては困惑し、ありがた迷惑以外の何ものでもないということになるのか。まるでキワモノ扱いみたいに・・・。
・・・そんな私的なことはどうでも良いことだけれどね、

多くのミュージシャンに尊敬され、カヴァーされたレナード・コーエン

本年度のノーベル文学賞にボブ・ディランが栄誉に輝いたことは、その後、本人は受諾するのか、授賞式に出席するのかどうか、などとファンをヤキモキさせ、これはさずがに日本国内でも大きな話題になっている。

このボブ・ディランも実はレナード・コーエンのハレルヤなどをカヴァーする(『Hallelujah』)など彼の楽曲を高く評価していることは良く知られており、盟友として友情を結び、互いにリスペクトし合う関係であることも伝えられてきた。

彼らをウォッチしている人々からは、ミュージシャンがノーベル文学賞の受賞対象になるのであれば、むしろレナード・コーエンの方が先に受賞してもおかしくなかったかもしれないと語られたのも肯ける。(rollingstone.com)(ボブ・ディラン以外にもノーベル文学賞を受賞する価値がある作詞家×12人:英BBC

こうしたコーエンへの高い評価はディランに留まらず引用し尽くせないほどに数多の事例があるのだが、U2のボノが“ハレルヤ”は世界で最も完璧な曲だ、と評価していることを上げればとりあえず十分だろうか.

今後、国内でもいくつかは評伝が出ることを期待したいが、現時点では10数年前に刊行された1冊の伝記(翻訳もの)があるのみ。(『レナード・コーエン伝』

しかしなにゆえにこれほどまでに国内外の評価が分かれるのか。不思議だ。
残念だが、私にそれを解読する力は無い。

禅の修行僧でもあったコーエン

ファンには良く知られているように、彼は禅への関心から、90年代の短くは無い一時期、LA郊外の禅センターに通い詰め、老師(“Roshi”、つまり師事する尊称として、そう呼んでいた)・佐々木承周に師事し、仏教哲学を学習し、禅修行に励む日々を送っていたようで、それだけに日本への関心も強いものがあったようだ。
そうした関心から一度京都の禅寺を訪れたものの、日本の禅の現状を嘆き(「Japanese Zen is dead」と吐き捨てたと言われる)、絶えてその後の訪日は無い。

Woodworkerの我々にとってのイコンでもあるJ・クレノフは1989年に1度来日し、京都、松本などを巡り、高山でワークショップを開いたが、来日はその1度だけで、その後ついぞ日本の地を踏むことは無かった。

日本、日本文化が嫌いなわけでは無く、むしろそこから多くの影響を受けていることは作風からも探し出すことは困難では無い。

しかし、コーエン同様、日本の現状、日本の木工への諦観がそうさせたのだろうと、私自身は見ている[1]

またこの彼我の差は作品の多くに一貫して流れる宗教性、精神世界と俗世を官能的に行き来する独自の世界観への日本と西洋の親和性の違いがそうさせていると解釈できなくはない。

近代化以降150年、日本が宗教的帰依をどこかで捨て去り、精神性、倫理観を司る基軸を価値あるものとして見出さずに今日まで来てしまった結果、やや浮薄な現代文明に生きる我ら(コーエンが禅の本家である日本の禅寺を期待して訪ねるも、Dead!と嘆き、吐き捨ててしまう状況に見られるような)は、宗教的価値観と決別を果たしての近代化の時代を歩んできた西洋文化とはいえ、社会の奥深いところでキリスト教文化が連綿として息づき、衰えることを知らない彼らとは全くと言って異質な価値観で営まれていることは否定しがたいように思える。

その結果の評価基準の違いということもあるのだろう。

ただのロック系の歌への対し方、処し方が異なるからと言ってそれほどに深遠なところから解釈することへの疑いも無くは無いが、歌の好みとは意外とそうした精神性からの評価を意識下で下していると言えるのかも知れない。

私は一部を除き、日本の演歌を聴くことは耐えがたく忌避するところがある。気分が滅入り、落ち込んでしまうからね。
生理的にまで受け入れがたい体質になってしまっているわけだが、それは演歌世界というものが、日本固有の封建遺制、つまり家父長制、男尊女卑などの精神性が底流に流れていることへの嫌悪の感覚だ。

たぶん、そうした感覚というものは私の世代を区切りとして大きく変わってきていることも確かだろうと思う。

日本の音楽界も60年代初頭から70年代に掛け、大きな荒波に洗われフォークブームからロックの社会的認知へと変貌しているからね。
ただ、昨今の若者、洋楽への関心は衰弱しているのでは無いか、ということも一方の実態ではあるようなのだが。

レナード・コーエンの楽曲の魅力

さて、彼の歌には確かに求道者の如くの祈りをベースとした内省的で深遠な世界があるとはいうものの、楽曲そのものはとてもシンプルなコードで構成され、そのメロディーは陰影が濃く、簡明なリズムで刻まれ、バックコーラスの女声と併せ、実に祝祭的でまた官能的なところがあり、印象深く、魅入られてしまう。
あるいは三拍子のワルツも多く、ビデオクリップを見ても分かるように、踊りが付随してはじめて完結するというものも少なく無い。

さらに言えば、官能的な性愛の世界を描いているようなところもあり、より卑俗的とでも言えなくも無く、またそこが魅力的でもある。
聖なるものとしての女性を讃え、愛を歌い、やがて性愛をも宗教的なものへと昇華させていく。

彼自身、恋人のジョニ・ミッチェルをはじめ、多くの浮き名を流したことでも知られるが、あの渋い声で愛を告げられれば強ばりはたちどころに解かれ、求めに応えざるを得なくなり、やがては堕ちてしまいたくなるほどの魅力を湛えた男でもあったようだ。

90年代の一時期、禅に強く傾倒し、カリフォルニアの山中に禅修行のために入りびたっていた際、財務管理をしていたマネージャーであり、恋人でもあった女性から財産の大半を横領され、ついには裁判沙汰になるという嘆かわしい事件に見舞われ、この財政難を解消するために再び音楽シーンへとカムバックすることになり、欧州中心に400公演を行うという年齢不相応な活躍ぶりで、そのおかげというか、高精細なビデオクリップがネット上に上げられ、楽しませてくれている。

そこには若い頃には見られなかった良く伸びる野太く低い声質が黄金の輝きを放つ姿を視ることができ、この語りかけるように歌う歌唱法は80を過ぎても健在だった。

亡くなる直近にリリースされたアルバムでもその魅力は衰えていない(『You want it Darker』)。

転機となった《Various Positions》

レナード・コーエンは少年の頃、趣味でギターを鳴らしていたものの、表現活動としては詩、小説から始まっていて、ソングライターとしてはフォーク歌手ののジュディ・コリンズへの楽曲提供(“Suzanne”)からで、さらに自身の1stアルバムが出されるのは33歳という遅咲きだ。

しかもその後は鳴かず飛ばずの時代が長く続き、世界的に知られるようになったのは50も過ぎてから。
そのアルバムが《Various Positions》で、ここに所収された〈Dance Me to the End of Love〉[2]などは最初コロンビアレコードに持ち込んでも、全く歯牙にも掛けられず相手にされなかったと言われる。
それが今や世界中で愛される代表曲の1つになっている。

日本では加藤登紀子によりカヴァーされ、多少はヒットしていたと思う(『哀しみのダンス』

《Dance Me to the End of Love》

同アルバムの〈Hallelujah〉は紛うこと無く彼の代表曲となり、多くのミュージシャンに愛され、ボブ・ディラン、ジョン・ケイル、ジェフ・バックリー、ボノなど競ってカヴァーしている。

《Hallelujah》

さらにこの〈Hallelujah〉は音楽オーディション番組で多くのチャレンジャーに選曲されるなどで、その余りの人気に「カヴァー禁止令」が取りざたされるなどといった珍現象さえもたらされたという。

他のミュージシャンにどれだけカヴァーされているかということも楽曲の評価の1つの指標になるわけでこうしたところに焦点を当てた追悼の記事があるので紹介しておきたい。〈「ハレルヤ」の転生:レナード・コーエン追悼〉(WIRED)

ファンというのはおかしなもので、自分が好きであれば、世間でのそのアーティストへの評価はとりあえずどうでも良いという捻れた愉楽というものがある。
しかし、余りに不当な評価であれば、ヒドイじゃないかと嘆くのもまたファン気質。

このエントリーを準備するにあたり、レナード・コーエンに関するリサーチで新たにいくつかのことを教えられる機会にもなった。
10月13日、LAのカナダ大使邸における新譜(『ユー・ウォント・イット・ダーカー』)の試聴会が開かれ、そこでの記者会見の模様で没する直前の様子が窺えたことは大いなる喜びである。

死を覚悟し「I’m ready my Lord.」と『ニューヨーカー』で語ったことを飜し、「死ぬつもりなんてないんだ。永遠にここにいるつもりだ」、「120まで生きるよ」とユーモアを交え穏やかなに語ってくれており、その数日後に訪れてしまった死期は、やはり突然の事故のようなものであり、まさに天に召されたのだと思いたい。

残念ながら盟友であったディランの追悼の言葉は未だにキャッチできずにいるが、ノーベル賞受賞の影で亡くなっていった友人にどのような言葉を掛けるのか注目したい。

吟遊詩人・レナード・コーエンは今や亡い。
この喪失感を埋めるにはいささかの時間も必要だ。
来週には14枚目のアルバムも手元に届くはずだが、こんなリアルな状況ではまだまだ死を受け入れることはできようもない。

インターネットからは既にこれを聴くことができる。
冒頭の曲では自らの死期が近いことを詩作にして美しく歌いあげている。
最後にこれを貼り付け、追悼としたい。

《You Want It Darker》


以下は、オ・マ・ケ

『Hallelujah』のカヴァーの数々と代表曲のいくつか

《Hallelujah :Jeff Buckley 》

《Hallelujah:ルーファス・ウェインライト、トロント市民1,500人と》

《A Thousand Kisses Deep》

《The Letters》

参照==========
■ 【追悼レナード・コーエン】 「Hallelujah」のカヴァー音源 17選をセレクト

■1988年に英BBCで放送されたレナード・コーエン(Leonard Cohen)のドキュメンタリー『Songs From The Life Of Leonard Cohen』。(1:10:26)

《関連すると思われる記事》


❖ 脚注
  1. その根拠をここであえて明かすことも無いと思うが、興味があればスミソニアン博物館からのロングインタビューを読めば分かると思う。

    あるいはまた、JKの死去を受け、国内外からメディアを含む様々なところから追悼の記事が上がっていたが、他方、唯一の訪日を企画・招聘した高山の学校運営者からはどうしたわけなのか、何らの言葉も発せられなかったというその異様な振る舞いに両者の不幸な関係性を推し量る時、JKファンの末席にいる者としてはとても辛いものがある
    a.
    b.
    c.
    d. []

  2. アウシュビッツ絶滅収容所において、収容仲間をガス室に送るために結成された弦楽団があり、この史実にインスピレーションを受け、創作したものと言われている。
    コーエン家は20世紀初頭、祖父の代にロシアからカナダに移住してきたユダヤ人。

    以下は詳細な解説。
    ‘Dance Me to the End Of Love’ … it’s curious how songs begin because the origin of the song, every song, has a kind of grain or seed that somebody hands you or the world hands you and that’s why the process is so mysterious about writing a song. But that came from just hearing or reading or knowing that in the death camps, beside the crematoria, in certain of the death camps, a string quartet[2] was pressed into performance while this horror was going on, those were the people whose fate was this horror also. And they would be playing classical music while their fellow prisoners were being killed and burnt. So, that music, “Dance me to your beauty with a burning violin,” meaning the beauty there of being the consummation of life, the end of this existence and of the passionate element in that consummation. But, it is the same language that we use for surrender to the beloved, so that the song — it’s not important that anybody knows the genesis of it, because if the language comes from that passionate resource, it will be able to embrace all passionate activity. []

                   
    
  •  こんばんは。

    訃報の知らせには、artisanさんから彼を紹介頂いた後だったので、私も驚きました。

    アルバム、感謝しております。
    おかげ様でHallelujahの原曲がレナードコーエンだと知る事も出来ました。(今更かもしれませんが…ははは)

    • tukuruzouさん、どうも、です。
      tukuruzouさんにとってはお爺さんの世代のコーエン爺になりますが、どんな風に見えるのでしょうかね。
      先日、知人女性に同じ話を向けると、格好良い、とひと言。
      声質、立ち居振る舞い、あるいは歌世界、その生き方への憧憬などを指すのでしょうかね。
      “Hallelujah”は多くの人にカヴァーされていますが、スタンダード曲としてもっともっと歌われて良い名曲です。

  • リンクからでなく。
    先週、布施氏のライブで、ハレルヤが歌われたことから、ググってみたら、こちらのブログにヒットしました。
    熟読させていただきました☺️

    • 布施明さん、『ハレルヤ』を歌ってらっしゃるとは。
      嬉しいですね。

  • 深く読み入りました。彼の詠う詩は 魂の表現そのものだと感じていた私にとって 喪失感は今だ続きます。
    日本での評価(興味)に物足りなさは感じていたところ。共感しましたよ。

    • 月に行ったうさぎ さん、コメントありがとうございます。

      Leonard Cohen 亡き後、直後にリリースされてここでも紹介した《You Want It Darker》の他、残された詩を元にした新たなアルバムが出され(Thanks for the dance)、腹蔵に染み入る渋い歌声(語り)に聴き惚れていたのでしたが、今日あらためてコメントいただくことで、訃報に接したあの頃の事を思い返しているところです。

      ちょっと話しは飛びますが、Covid-19感染は全世界に脅威を与えている状況です。
      アジアでは各国それぞれ様々な様相を見せていますが、ご存じかと思いますが、台湾では世界でも稀とも言うべき感染拡大を抑えていることで話題になってきました。

      この台湾の疫病対策を担った責任者の一人として、世界的な評価を高めていたのが唐鳳(オードリー・タン)という人物でした。
      私がここで注目したのは天才的なITエリートという点だけでは無く、聡明で哲学者然とした佇まいを持つ若者だというところなのです。(東洋経済:台湾デジタル大臣「唐鳳」を育てた教えと環境

      その依って立つ思考のテキストが、私も古くから愛読してきた日本の文芸評論家であり哲学者のものだというので驚き、また、やはりそうであったか、と胸にストンと落ちるモノがあるのでした。

      ここではこれ以上触れませんが、なぜこんな話しを書いてるかと言いますと、オードリー・タンはLeonard Cohenを強くリスペクトしているからなのです。

      以下の曲の最後の一節を指摘しています。
      《Leonard Cohen – Anthem》2008年 ロンドン公演Liveから

      「万事には裂け目がある。裂け目があるからこそ、そこから光が差し込むのだ」

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