工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

雑誌掲載と広告

先の雑誌掲載の記事に対して知人から「これは広告なのか」というお尋ねがあった。
記事ではそのような受け取り方をされてしまうようなものだったかもしれない。
確かに雑誌では広告とも企画記事とも、どっちでも取れるような、ボーダーな商品の扱われ方が氾濫しているのは事実。
まず申し上げておかねばならないが、これは広告ではなく、あくまでも雑誌編集部の企画もの。
近親者が雑誌社にいるとか、こちらからプレゼンテーションしたからとか、そうしたものでない、全くの飛び込みの出稿依頼だった。
またそこには一切の金銭的な関係は、無い。
うちのようなところにも電話などでの雑誌掲載依頼は多い。
実はその多くは「広告」的なもので、当然にもお金を求めてくる。
うちでは、これまではそうした「広告まがい」のものも含め、出稿したことはない。

ただ注意していただきたいのは、これは善し悪しを語っているのではなくあくまでもボクの個人的な考え方を述べているに過ぎない。
「広告」をハデに打って、経済基盤を安定させ、より良い作品を生み出すのも1つの戦略ではあり得るだろう。
ただボクにはそのような考え方に馴染まない、と言うに過ぎない。

インテリア雑誌の紙面は一見して広告とは思えない構成となっているものでも実はその少なからぬ部分が「広告」としての実態を持っていることはあまり知られていないのかも知れない。
公器である新聞ではあまり許容されていない、報道と、広告のあいまいさというものが、雑誌では実に巧妙に組み込まれており、雑誌発行における経営的基盤をここに置いているというのが実態だ。


雑誌社の一般的な内部規定では広告はページ数にして50%を越えない、ということのようだが、これを越えて広告ページが氾濫する雑誌も少なくない。
あるいはほとんど広告のページで占められている雑誌だって市場にはわんさとある。
一昨年だったか、ある美術系の出版社から家具の作品集を出す企画があり、これに参加しないか、というお話しがあった。
ボクは掲載に伴う負担金の額を聞く前に、丁重にお断りした。
確かその後も書面などで再度の依頼もあったが、断ってきた。
その後この本が発刊されたという情報をネットで知り、確認すれば多くの知人木工家がリストされていたので、これにはちょっと驚いたが、なかなか立派な装丁の豪華本であった。
しかしこの時も些かの後悔の念も沸き起こらなかった。
「武士は喰わねど‥‥」という不器用な作法も、こうした生業では時として必要だろうと、自分に言い聞かせながら、グッと唾を飲み込む。
インディペンデンスという、ちょっと気位の高い生き方を昨今の金満な社会で貫くのは容易いことではないが、考えてみれば木工を生業として貫くという以前に、自身の生き方を規定づけるものであれば、その事で受けるかもしれない悲哀は受忍するというのも1つの作風だろう。
しかし、ボクだって雑誌掲載での販売における威力は全く侮れないものがあることはよく知っているつもりだ。
ある大手出版社の婦人雑誌に作品が紹介されたことで、それをチェックしていたカタログ通販会社の企画スタッフが訪ねてきて契約したっことがあった。
結果、1セット50万円を越える家具が一時飛ぶように売れて慌てたことがあったものだ。
インディペンデントを貫きつつ、作品の質を高め、広告ではない雑誌掲載を機に、そのチャンスを引き寄せる嗅覚と、力量が問われるということか。

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