家具職人、晩年の人生を垣間見る

晩年の人生をどう送るのか、長く生きていれば均しく誰もがぶち当たり悩み考える課題だ。
私は世上言われるところの団塊の世代。周囲の同年の知人のそのほとんどは会社勤めをリタイアし、半減する給与に甘んじつ再就職で精を出す者もいれば、カミさんに邪魔者扱いされながら、のんびり ダラダラと孫の世話でうつつを抜かしつ、それまでの人生の垢を削ぎ落としつつあるる者も多い。
ごく一部には一念発起し児童福祉の社会活動のNPOに所属し、そこであらたな生きがいを見出し奮闘するといったような殊勝な者もいたりする。
さて、そんな中、私は相変わらずしぶとく木工職人として木埃にまみれる日々が続く。
だがタイトルの「家具職人」は私のことでは無い。恥ずかしながら私は自身の人生を語るほどに老成するには至っていないから。
木工家具職のロールモデルというものがあるのかは知らないが、個人的にはそれぞれ規範とする先人、先輩もあるのでは無いだろうか。
私の木工修行はその門を叩いた年齢はいわば壮年期で、この種の修行開始の年齢としてはかなり遅い。それでも独立起業までには数カ所で世話になり修業時代を送った。
ただ若くも無かった事もあり、いずれも1年を越えない短期間のところばかりで、またいずこでも良い弟子では無かっただろうと思っているが、幸いにしていずれのところでも技能修得から、木工全般にわたる初期段階のエッセンスを獲得するに十分な環境に置かせてもらったものと感謝している。
そんな中にあって、30年後の今も親方と呼べる人がいるというのは木工職人にとって幸せな事かも知れない。
タイトルの「家具職人」とは、この私の親方と呼べる人のことである。

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