コロナ禍と私たち(この世界をどう生き延びるか)

4月7日に発出された「緊急事態宣言」は5月25日に解除され、その後に出された「東京アラート」も先週11日に解除。
今、日本社会は徐々に長い眠りから目覚め、再起動しつつあるかのよう……。
私はと言えば自身の工房に籠もり、日々木と対話し、淡々と木工に勤しむ、そのおかれた環境というものはコロナ禍に席巻されている世界の状況を考えれば、とても贅沢で恵まれたものだという自覚も芽生えつつあるところがだが、今日は私自身の新型コロナウイルス(Covid-19)を迎え撃つ中間的な総括として記述してみたい。
やや長い記述となるが、お付き合いいただければありがたく思う。
木工房的生き方の贅沢さを噛みしめ…
工房に籠もり木工に勤しむという恵まれた環境というのは、数ある職業の中では確かに稀少な事例だろう。
ホワイトカラーの会社員は職場での事務作業はソーシャルディスタンスが取れないといったことから感染リスクの高い職場から抜け出、妻子が待つ自宅に籠もり、zoom を起ち上げ、リモートワークに精を出す。
…、かといって家事をするわけでも無く、家人は「夫は元気で留守が良い……」状況から何らの心の準備も無くいきなりの転換を突きつけられ、揚げくストレスを高じさせる…。
スーパーマーケットはこのところいつも賑わっているが、ペラペラのビニールの遮蔽膜で覆われたレジボックスで、これまた慣れないゴム手袋を着けさせられレジ打ちする女性たちの感染リスクはさぞ高いのではないだろうかと本当に心配になる。
先日はその事を伝えようとレジ打ち女性に話しかけたのだが、妻に「かえってあんたの方が感染リスク高めてるじゃん」と戒められる始末 ^^;
私はあまり縁が無いが、街中の裏通りにあるスナック、キャバレーやクラブ、バー、といった接客を伴う店は軒並みシャットダウンさせられ、当然にも収入は断たれ、オーナーはスタッフの給料、月々の家賃の捻出に頭を悩まし、中にはいつ夜逃げするか、とばかりに電卓片手に苦悩に沈む人もいるだろう。
これではとても生活できないとばかりに、こっそりシャッターを開け、酔客を招き入れる店舗オーナーもいるに違いないが、今の日本社会はそれを許さない。
たちまち後ろ指さされ、張り紙され、ネットでバラされれば、全国から酷い言葉が投げつけら、やがては閉店に追いやられていく。
また一方では医療従事者を励まそうと決められた時刻になれば一斉に拍手をする姿や、ゴミ袋を上手に加工して防護服を作ったり、3Dプロンターでフェイスガードを作ったりと、医療従事者を感涙で顔を濡らすという奇特な人もいるようだ。
こうしてコロナ禍は日本社会の深層にある倫理性、公共概念というものをゆっさゆっさと揺さぶっているのだが、その狭間からは様々な相貌が見え、人間世界のいくつもの断章が展開され、なかなか興味深いものがある。
ウイルスは人を選ばず、人がいるところであれば場所を選ばず、均しく誰もが罹患する状況下にあるとはいえ、私のように木と対話することで仕事は回り、他者との過度な接触を必要としない者と、上述のような人々とは明らかに対Covid-19ウイルスにおいて次元の異なる生存様式と言われかねず、そこは深く自覚し、他者への想像力を失ってはいけないのだろうと戒める今日この頃である。