工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

大阪・西成の報道のされ方への違和

kosumosu
ボクはいわゆる“寄せ場”というものについてさほど詳しい者ではないが、東京の山谷、横浜の寿町が醸す匂いは少し知っている。
ただ残念ながら国内最大の規模を誇る大阪の釜ヶ崎(あいりん地区)へは行ったことがなかった。
昼過ぎ、何とはなしにTVをつけたら大阪の釜ヶ崎の光景が写っていた。
「西成」という地名表記だったが、三面記事を賑わした件の市橋容疑者が大阪での勤務先を探すために、この寄せ場を通って行ったらしく、こうしたことを追跡するために「西成」へと取材陣を送り込み、番組を構成したということのようだった。
Q:こういうところでは身分証明書が無くても働けるんですか
A:年齢と身体つきで働けそうやったら誰でも雇うたるで
Q:ワケありの人、例えば市橋容疑者のような人でも、ですか?
A:何を言うとるの、あんちゃん、ワケありばっかしやん、こんなとこ‥‥ (怒)
‥‥ そんなやりとりの途中、近付いてきた別の労務者が取材陣をくさす。
「あんた、ちゃんと許可撮ってカメラ廻してるの?」「エッ、いや・・・」
「ちょっとこっちに来な・・・」、「いえ、そんな〜・・」

銀杏

はっきりと語っていたわけではないが、この取材は市橋容疑者の逃走を助ける格好の場としてこの「寄せ場」に焦点を合わせ、いささか反社会的な場所であるかの如くに構成したというところだろう。
不正がまかり通り、怖ろしくて近づけない所、といった風に。
確かに追われの身を隠し、息を潜めながら棲息している人もいるかも知れない。
本名など語らず、通称で生きている人も少なくないだろう。
ただ70年代の大阪万博会場の設営も、80年代の関西空港の大工事も、この西成に集う労働者なくしては成し得なかっただろうことだけははっきりしている。
あるいは資本主義制度の下での労働市場において、常に雇用の調整弁として機能してきたことも明らかなこと。
こうして労働市場からは絶対的に欠かせない雇用形態として位置づけられながらも、決して明るい日射しの下に晒され、称揚されることなどはない日陰の存在。
ただ、もし「労働」という本質の原点を知りたければ、他のどこよりもこうした「寄せ場」に“立ちんぼ”し、労働現場へと足を踏み入れることが手っ取り早い。
そこでは自身の身体ひとつを1日の労賃と引き替えに売る、「働く」ということの生々しい本質を見ることができるだろう。
そこからは畏怖さえ感じ取れる何ものかが掴めるかも知れない。
そうした現場へと深く取材することなく、表層だけを切り取り、数人の関係者への取材で殊足れりとする薄汚れた心性のレポーターやディレクター、あるいはこれをエアコンの効いたきらびやかなスタジオで知ったかぶりに論ずる薄っぺらなおつむの自称評論家らと、一方のカメラに追い回される薄汚い作業着の「寄せ場」に集う労働者。
どちらに一人の人間としてのリアリティー、生の息づかいがあるかと尋ねられれば、ボクは躊躇無く後者だと答えるだろうな。
木工職人という仕事も、よくよく考えてみれば‥‥、はるかに後者に近いかも知れないしね(苦笑  そんなはずはない、と考えておられるご仁には申し訳ないが)
さてここでの問題だが、市橋容疑者を意図せずとも匿ってしまったことの当否を問うその前に、まずは千葉県警が容疑者宅に踏み込んだ際の獲り逃がしであったり、大阪府警など捜査関係部署の捜査力の衰えの方をこそ問うべきではないだろうかと思うのだが、如何だろうか。
銀杏

寒風吹き抜ける西成で、この冬もまた繰り返される炊き出しの列は途切れることなく続く。
またここに並ぶ体力さえ奪うような厳しい労働環境に敗北し、道端に転がり人知れず死に逝く労務者も少なくないのだろう。
その一方で疲弊する社会からの欲情に媚びへつらい、批評精神を失って久しいTVジャーナリズムの劣化だけは止まることをしない。
いつまで続くのか知らないが、巨悪がはびこる社会へとメスを入れることは決してなく、膨大な時間と費用を費やし一人の殺人事件容疑者をおもしろおかしく執拗に追い続ける報道に、どれだけの意味を見出せるのかは一度考えてみた方が良いかも知れないね。

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  • 書かれていることに、共感を覚えました。いろいろな点で、ご指摘の通りだと思います。
    労働というものには、様々な形態がありますが、その生々しさに心を打たれるのは、派手で見栄えの良い職業よりも、あまり陽の当らない部分の仕事のように思います。
    そういう仕事が、社会の流れの中で押しつぶされ、失望と絶望のうちに消えて無くなるのが現代なのでしょうか。

  • 共感。
    マスコミ→マスゴミ
    これがネットの世界では通称ですね。

  • マルタケさん、“共感”コメント感謝です。
    kokoniさん、“マスゴミ”ですか、なるほど‥‥。ブラウン管の向こう側はゴミタメというわけですね。(爆)
    好んで良く読む「?村 薫」の小説の舞台に西成地区が良く登場するということも感応を強めた理由の1つだったのかもしれません(彼女の小説世界では、労働現場というものがディテール細やかに、かつリアルに描かれているのです)。
    件の番組の取材・編集に於いて“寄せ場”の社会的な意味合いを知りつつも、視聴者に“分かりやすく”アウトローな世界でもあることを浮かび上がらせようとする手法を取ったとするならば、それはある種の恣意的なものとして悪意を感じざるを得ませんし、もしホントに知らないとするならば、メディアの場で糊口する者としてあまりに無知と言わねばなりません。
    しかしはっきりしていることは、そうしたアホくさい番組が放送されたとしても、この寄せ場の労務者には屁とも思わぬ根性があるでしょうが、むしろ問題なのは彼らへ向ける眼差しが歪んでしまう私たちの方でしょうね。

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