職能の獲得と経験
先のノギスに関する、クソリアリズム的小論ですが、自分でもアホクサと思いつつMacのキーを叩いたのでしたが、この種のチップを書き始めたらいくらでもでてきそうで、程々にしないといけませんね。
しかしこれらは一見何気ないものに思えても、実は現場においては有用なことが多いものです。
そうでありながらも、意外と気付かず鈍くさい方法を取り続けるということもあるでしょう。
職人もモノづくりに向かうその思考スタイル、あるいは手の捌き、道具への関わり方、そうしたものは千差万別で、私も他人の手法を視てるとすごい、すごい、と感心することも屡々ですし、逆に鈍くさいことしてるな、と思うこともあるものです。
ある程度の規模の木工所であれば、親方、兄弟子、あるいは後輩と、様々なキャリアの職人の共同体的な職場状況で多くのことを学ぶことができます。
私は木工を生業として生きていこうと決め、その後いくつもの木工産地、あるいは木工家といわれる人を訪ね歩いたのでしたが、最終的に選んだのは信州の松本民芸家具でした。
理由ははっきりしています。
大量工業生産物ではない、本来の木製家具の製作現場の職人集団として形成され、意志のある若者を積極的に受け入れ、修行する場としては最適だろうと考えたからです。
そこでは熟練の親方から老齢の職人、勢いのある兄弟子にしごかれ、玄翁で叩かれながらも、彼らの仕事を盗み見し、仕口の加工法、段取り、あるいは巧緻な逃げなども含め、多くの事を学ぶことができたものです。
More »